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史上最ウマの駅弁は何か? [料理・グルメ]

 日本の駅弁の中で、もっとも美味しいものは何か? なーんて質問をしてしまったら、食に関するさまざまなうんちくを持つグルメな方から旅行ライター、はては駅弁大会に足繁く通う「通な」人々たちから議論百出、それこそ収拾がつかなくなってしまうこと間違いありません。しかしそれを承知であえて私の独断を言わせてもらうなら、これまで食べた駅弁の中で最も美味しかったベストスリーは、折尾駅の「かしわめし」、西真鶴駅の「柿の葉鯖寿司」、小淵沢駅の「高原野菜とカツの弁当」ということになるでしょうか。駅弁というヤツは車中で食べるといやに美味しく感じられるくせに、お土産や駅弁大会で自宅に持ち帰って食べてみるとどうも味気ない。しかしこの三作品は、食品としていつでもどこでも誰と食べても美味しいこと請け合い。旅先で出会うことがあったら、どうぞお試しになることをお勧めいたします。

 小林しのぶニッポン駅弁大全」(文藝春秋)は、駅弁一筋ン十年(?)、全国の駅弁を食べ歩いてきたという自称・駅弁の女王による最新の駅弁に関する総図鑑であります。こうした駅弁図鑑というのは実は過去にもムック形式で定期的に出版されておりまして、私はなぜか幼い頃からそれらを買い集めるのを趣味としておりました。結果として、何冊もの駅弁ムックがわが家には収蔵されていることになります。これらを眺めているだけで、駅弁に関する流行廃りが読みとれて面白い。本書は、平成時代に入って初めてまとめられた駅弁図鑑。過去において人気を博した名物駅弁の扱いが小さくなっていたり、私も知らなかった新顔が次々登場したり、最近話題の空弁(そらべん=飛行場で売っているミニ弁当)のカテゴリが登場したりと、さすがに時代の流れを感じさせてくれます。

 本書から読みとれる最新のモードとしては、地元の素材を使った高級幕の内弁当の充実でありましょうか。高級とはいっても、テレビ番組のお遊び企画で料亭に作られた五万円ものバカバカしい弁当(日光埋蔵金弁当なんてのが実際にあったのです)ではなくて、高くても一万円、多くは二千円以内のもの。それでも東京駅の「東京弁当」1,600円、森岡駅の「いわてのおべんとう」1,000円、金沢駅の「加賀野立弁当」10,000円等々のように、きちんと味付けされた正統派のおかずがぎっしり詰め込まれた幕の内弁当が評価を上げている様子。容器に凝ったり、デザインに凝ったり、ネーミングに凝ったり、変わった素材を使ったり、紆余曲折を得た後に、結局みんなが欲していたのがシンプルな弁当だったということなのでしょう。浅草今半の牛肉竹の子、人形町魚久のキングサーモン粕漬け、築地青木の卵焼き等、東京老舗のおかずが勢揃いした「東京弁当」なんて、今度新幹線に乗る時にはぜひ食べてみたいお弁当ですね。

 それにしても、本書は駅弁の写真が綺麗に撮れている。駅弁大全と呼ぶわりには過去のムック本と比較して、収納駅弁数が極端に少ないし、カテゴリ別に別れているので(普通は地域別)、眺めていても旅気分を味わえない。書籍形式のため、印刷代をケチってオールカラーではなくて、モノクロとカラーが交互になっている点など、実は減点ポイントが山ほどあるのだけれども、それを補ってあまりあるのがこの写真の美しさ。ページをめくっていると不思議とヨダレが湧いてきて、お腹が減ってくる。ついでに言うとどこかに旅したくなること必須の、困った本でもあります。


ニッポン駅弁大全


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ハングルを勉強するには、この一冊 [韓流ドラマ]

 「僕の彼女を紹介します」の完全対訳シナリオブックを前にして、このところずっと激しく悩んでいる。なんといっても私が溺愛する女優チョン・ジヒョンの魅力を200%発揮した最新映画であります。DVDもフォトブックもノベライズ本も、この映画に関するグッズなら何でも揃えたいと思うのはファンとして当然なのですが、しかしこの本だけはハードルが高すぎる。値段じゃないですよ、その内容が。原作台本の対訳ということで、ハングルと日本語訳しか載っていないのです。もちろん、これが英語だったりしたらそんなのは当たり前のことなんだけど、相手はあの暗号みたいなハングルちゃんですからね。読みも、言葉の解説もなければ、いくら韓ドラ漬けの毎日を送る私ですらも、まったく歯が立たない代物。「こんなに愛しているのに、どうして君は私の想いがわかってくれないのだァ」という、まるで韓ドラの脇役男みたいないらだちを隠せない日々を送っていた私なのでありました。

 そんな悩みを解決すべく、ついに最近ハングル解読のための勉強を始めてしまいました。韓国に行きたいわけじゃない。韓国語をペラペラしゃべりたいわけでもない。韓国語の小説を読みたいわけでもない。「僕カノ」のシナリオを読みたいというただそれだけの目的で、ハングルの勉強を始めてしまうというこの単純さ。でもまあ、もしハングルが読めるようになったら、ドラマを見る時にも俳優さんの名前とか店の看板とか解読できて、マニアとしてもちょっとステップアップしたような気分になれるしね。

 というわけで、本日の一冊はMEMOランダム編「今日から読めるハングル」(三修社)ということになります。私の目的はきちんとした韓国語を勉強することにはないので、教材であるテキスト探しに苦労しました。複雑なことはいらない。単純に読むことに特化したテキスト。あの暗号のようなハングル文字について、誰にでも理解できるように平易に解説されているテキスト。できればパソコンソフトの「できる! シリーズ」みたいに、一週間くらいでそこそこのことが覚えられちゃうというテキスト。なーんて便利なモノがないかしら…と探していたところに、本書と出会ったわけです。いやはや、実にこれは良くできている。10の基礎母音と14の基礎子音、11の合成子音を覚えるための方法と学習の順番も整理されていて、わかりやすい。なおかつ、文中での濁音化やパッチムの種類など、細かな発音のルールもきちんと解説されており、独学では手に負えなかったハングルについてのイロハがようやく理解できるようになりました。

 本書の謳い文句は「五日間の勉強で、看板やメニューなどのハングルがどんどん読めるようになる」でありますが、さすがにそれはちょっと難しい。なにしろハングル文字というヤツ、ほとんど暗号みたいな代物なので、●が「あ」だというふうに頭の中で自動的に解析できるようになるまでに、相当の訓練が必要なのですよ。もうこれは、ひたすら文字を読み続けて慣れていくしかない。私の採った手法は、中学生のように単語カードに好きな俳優の名前を書き込んで、ヒマさえあればそれを眺めていくという超単純な勉強法。それでもぱっとひらめくに至るには時間がしばらくかかりそう。シナリオブックを前にして、溜息をつく日々はまだまだ続きそうなのであります。


今日から読めるハングル


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絶対音感という不思議な才能? [ノンフィクション]

 「絶対音感」。なんだかこのコトバの響きには、音楽を志す者だけでなく、音楽に門外漢の人ですらも引き込まれてしまう魔法のような魅力があると思いませんか? 英語名でいうところのパーフェクトピッチ。果たして、完璧な音感とは、一体どういうことなのでしょうか? この音感を持つ人は天才音楽家のみに許された特殊な才能なのか? 最相葉月による「絶対音感」(小学館文庫)は、こんな疑問を突き詰め、読者の知的好奇心を大いに奮い立たせてくれるノンフィクションであります。

 小鳥のさえずりも、救急車のサイレンもドレミで聞こえる人がいる。あなたの隣にまったく別の音の世界に生きている人がいる。でたらめに叩いたピアノの音も、鳴っている音をすべてドレミの音符に瞬時に変換してしまう人。絶対音感を持てないために音楽家への道をあきらめた人もいる・・・・などという逸話を並べてみただけで、このテーマに対する興味は深まっていくことでしょう。しかも日本人には絶対音感の能力を持った人が非常に多いという事実を聞くと、なおさらです。

 しかしよくよく考えてみると、音をドレミの音符に変換するということは、単に幼児期における徹底した音感訓練による結果ではないのかい? ダウン症の人の中に何年先のカレンダーも瞬時に言い当てる能力がある人がいるとか、譜面も読めない知的障害者が二千曲以上のオペラを暗記して歌うことができるといったイデオ・サバン(知恵遅れの天才)とは、明らかにその謎の質が違うのね。事実、著者も本書でしつこいくらいに絶対音感とは、特定の音の高さを認識し、音名というラベルを貼ることのできる後天的な能力であり、それがすなわち音楽創造を支える絶対の音感(真の意味での才能)ではないことを主張しています。

 つまりは、反復運動によって無意識の中に知覚を顕在化させるというサブリミナル効果の一種。実に不思議に思われた絶対音感という言葉の響きの実体は、子供時代のヒステリックな音感教育に原因があるとわかると、小鳥のさえずりがドレミで聞こえる人がかえって哀れに思えてきます。小鳥の声はチュンチュンでいいじゃないか。音楽的素養をまったくもたずに育ったおかげで、自然の声をありのままで満喫できる自分にほっとしている私であります。


絶対音感


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正確な電車のダイヤのナゾを知って思うこと。 [ノンフィクション]

 日本の鉄道の正確さたるや、世界でも稀であるらしい。JR東日本の統計によると、一列車あたりの遅れは新幹線が平均0.3分、在来線が平均1.0分というすさまじさ。つまり、新幹線の95パーセントと、在来線の85パーセントは時刻表通りにきちんと発車していることになります。他国の数字でいいますと、イギリスもフランスもイタリアも、平均して90%程度の定時運転率はたしかに計上されている。しかし、日本の「遅れ」が1分以上遅れた列車はすべて「遅れ」としてカウントされているのに対して、外国のそれは10分以上、ひどい国になると15分以上の遅延しか「遅れ」とは見なされていないというのです。なんというお国柄の違いでしょう!! 途上国になりますと状況はもっとひどくて、もともと定刻発車なんてこと自体を乗客が期待していないことがほとんど(笑)。1時間遅れで電車がやってくればいいほうで、三時間、四時間待ちなんて状態が日常茶飯事だというのです。

 三戸祐子「定刻発車」(新潮文庫)を読むと、私たちが普段当たり前と考えている鉄道の正確さについて改めて考えさせられてしまいます。本書は、世界でも異常とされる超正確な電車の運行管理について、その歴史から具体的な手法、緊急時の運行回復システムに至るまで詳細に解説された鉄道ノンフィクションです。鉄道マニアならずとも、身近に利用している鉄道の裏側にはこんな仕組みが隠されていたのだという知識満載で、ちょっと得した気分になること間違いありません。

 たとえば、一日になんと217本の列車を発着させなければならない、東京駅の東北・上越新幹線ホームの話。これだけ過密スケジュールになると、盆・暮の混雑時には後続電車待ちの乗客をホームに収容することすらできません。そこで考えられたのが、電車毎に指定席・自由席の配列を変えることによって、ホームに並ぶ乗客の位置を分散させる手法だとか。乗降客の量、手荷物の数、そこから予測されるホーム上の占有スペース…。これらの数値が厳密にシュミレーションされることによって、アクロバット的な東京駅の発着数は実現できているらしい。

 あるいは、二分半の間隔で発着する朝のラッシュ時の山手線や中央線のダイヤ。混雑時の乗客の乗り降りには平均して二分半かかるというから、数秒でも発車が遅れると後続電車に大変な打撃をもたらしてしまう。そこで採られているシステムが、交互発車という考え方。発車できるホームを予備に作っておいて、そのホームで一台待機させることによって電車が断固状態になるのを避けるという余裕を持たせるのだそう。そういえば、新宿駅(特急ホームをラッシュ時のみ暫定的に使用)や池袋駅でこの交互発車をよく見かけます。

 さらには、ブレーキ扱いによって数分の遅れを少しづつ取り戻すという運転士の驚異の運転テクニック。「一つの駅のブレーキ扱いでだいたい五秒縮められる」ため、29駅ある山手線一周でおよそ30秒の回復になるとのこと。二週目でまたそれを繰り返せば、一分の遅れも一挙に取り戻してしまう……。

 しかしこうした記述になると、先日起きたJR西日本福知山線の脱線事故の原因そのものがこうした運転テクニックそのものにあることを現在の読者なら誰でもご存じであり、複雑な気分になるに違いありません。「日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?」というのが本書の副題でありますが、いまやそんな技術礼賛の時代ではないのも確か。むしろ本書は、「どうして私たち日本人は、鉄道にここまでの厳密性を求めるのか」という新しいテーマに向かうきっかけを与えてくれる書として読まれるべきでしょう。電車が2〜3分遅れるだけですぐに怒り出してしまう日本人。安全に対するJRの責任感の欠如を責め立てるのもいいけれど、それを強いているのは実は私たちの「時間感覚」にあることを忘れてはならないのです。


定刻発車—日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?


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失った感覚を科学的に再現する方法。 [医学・サイエンス]

 身体に障害がある人の機能を機械によってサポートしようとする学問を福祉工学といいます。歩行困難な方のために開発された車椅子や、手や足を切断した方に取り付ける義手・義足の類がその代表的な事例でしょうか。頸椎損傷で首から下の神経・運動機能をまったく失った完全四肢マヒの方がパソコンを活用できるように開発された呼気圧スイッチ(ストローを吸う・吐くの動作によって、ON/OFFなどを指示する機械)なども、IT時代における福祉工学の典型的な成果と呼べるでしょう。これらの機器の開発によって、これまでは一生寝たきりで過ごすしかないと思われていた重度の障害者でも、立派に社会参加を果たせるようになってきたのです。

 そんな漠然とした知識を基に、伊福部達「福祉工学の挑戦」(中公新書)を読んで見ると、とんでもない思い違いをしていることに気づきました。というのは、福祉工学とは正確には「失われたり衰えたりした感覚や手足、さらには脳の機能を、機械で補助したり代行する工学分野」のこと。つまり、障害がある人が少しでも便利に暮らせるように工夫を凝らした福祉機器の開発といったマイナーな世界の研究ではなくて、最先端の大脳生理学、ロボット工学と結びついた実に奥の深い研究テーマであったわけです。とくに近年の脳医学研究の進歩によって、福祉工学は一般の人にとってもますます眼の離せない世界になりつつあります。

 たとえば、「聴覚、触覚、視覚の代行機能」なんて研究はいかがでしょう? この研究を持ってすれば、三重苦のヘレンケラーですらも全ての感覚を取り戻すことが可能になるかもしれないというのです。というのはですね、以前取り上げさせていただいた本「進化しすぎた脳」でも解説してあったことですが、脳にはそれぞれの感覚を担当する部位というのが存在しています。それが視覚であったり、聴覚であったり、触覚であったりするわけですが、超単純にまとめてしまうならば、脳の担当部署に対して電気刺激を直接与えることで、ヒトはそれぞれの感覚を感じることができる仕組みになっている。目や耳や指などは、言ってみれば単に感覚受像装置に過ぎないというわけです。この理論に従って、人口内耳や人工網膜といった研究がなされ、現実に成果も挙げています。

 もっとも、ロボット研究と違って福祉工学がやっかいなのは、相手が生身の人間を対象としている点でしょう。視覚障害の方が人工視覚を装備した眼鏡をつけ、視覚の再現をした場合に(もはやその事例は多数報告されている)電気刺激を脳に直接与えた場合の脳に対する悪影響は考えなくてよいのか? 人間をモルモットにするような研究が、人道上許されるのか? …等々、クリアするべきハードルは多いのです。盲人のための超音波障害物探知機(眼鏡)をつけてもらったところ、本来彼らが持っていた障害物探知の感覚(第五感?)が失われてしまって、かえって迷惑だったという哀しい報告もあったりする。人間には障害を克服するために、それまでなかった感覚がとぎすまされるという特殊能力が潜んでいるため、今度は障害者本人の研究も必要となってくるわけです。

 こうした最先端の研究が、実はコウモリや九官鳥といった動物の特性や腹話術の科学的解明から始まるというエピソードも語られていて、非常に面白い。これまでは遠い世界にしか感じられなかった最先端科学・医学の研究の目指すところが、こんな身近なところにあるのだということを私たちに気づかせてくれるでしょう。高齢化社会を迎える現在、福祉工学はもっとも注目すべきエネルギッシュでエキサイティングな研究分野なのでありました。


福祉工学の挑戦—身体機能を支援する科学とビジネス


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ピュアな純愛物語の最高傑作 [小説]

 小説を読む醍醐味。これは何と言っても、その世界、時代にタイムワープしたかのような感覚に陥ったときにあるのではないでしょうか。とはいっても、そんな恍惚感を味あわせてくれる本というのはなかなかないわけですが。とくに最近は、幼い頃に夢中で小説の世界に入り込んだような体験──ワクワクドキドキしながら、読書中は時間が止まったように感じ、終わった後もため息をつくような満足感──がどんどん薄れていくような寂しさを感じています。こう思うのは、私だけではないのでは? 

 しばらく面白い本を読んでいないなあ。たいして読みたい小説も出版されないし。そうお嘆きのあなた、お待たせしました。本日は、トレイシー・シュバリエ「真珠の耳飾りの少女」(白水社)をご紹介いたします。昨年映画化されて話題にもなったので、小説よりも映画をご覧になった方が多いかもしれません。映画も良くできていたけれど、できれば原作を読んでいただきたい。私の読後感想的に言いますと、デイケンズの「ディビッド・コパフィールド」を読んだあとに感じたような、最大限のウルトラ特Aクラスに属する小説でありました。

 物語は、フェルメールの同名タイトルの作品(小説の表紙になっている絵画です)のモデルとなった少女が主人公。女中として雇われた彼女が、天才画家に淡い思いを寄せ、名画のモデルとなるまでを描くという設定です。このモデルの少女の存在については専門家の間でもケンケンガクガクの論争が繰り広げられているらしいので、本書の設定はまったくのオリジナル。フェルメールというオランダを代表する国民的画家の生活という史実を忠実に下敷きにしながらも、「真珠の耳飾りの少女」という一枚の絵画から感じ取った作者の勝手な空想を、魅力的な少女フリートの物語として紡ぎ出してくれました。

 少女から見た天才画家の生活。そして彼が描く素晴らしい作品の数々。画家にその色彩に関するセンスを見初められた少女は、家事手伝いから画家の仕事の手伝いをするようになり、次第に作品の構図について意見を語るような存在にまで成長していきます。そしてついに訪れた、モデルとしての初仕事。密かに想いを寄せる旦那様のために、フリートは恐れ多くも奥様の大きな真珠の耳飾りを身にまとう。そのために耳朶に穴を空けるということが、どんなに苦痛であるか、旦那様はご存じない。彼女は、ついに決死の思いで耳朶に針を刺していく・・・・・。無垢の少女が大人の女に変身する姿を描いたこのシーンは、本当に美しい。私が大好きなピュアな純愛物語そのものであり、歴代の恋愛小説の代表的シーンとして語り継がれることでありましょう。

 一枚の絵画からよくぞここまで想像を膨らませることができるものだと、作者の小説家としての才能に「ナイス!」を100個ぐらい差しあげたいと思います。そして名画ファンならずとも、フェルメールの画集を傍らにして読みふければ、しばしの間17世紀オランダの町並みにタイムワープする時間を満喫できること請け合いの、最高に楽しい小説であります。


真珠の耳飾りの少女


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もしも貴方がガンにかかったら? [医学・サイエンス]

 定期検診で身体に異常が見つかり、癌であることを告知された時、ショックを受けないヒトはいないでしょう。しかし、ここで基本的な問題を一つ。

問1)格別気になる症状はないが、胃の内視鏡検査を受けたところ、直径1センチほどの早期癌が発見された。しかし手術もせずにそのまま放置した時、癌が10倍になる(致死量)までの平均的な期間はどれくらいか?
  a.1年   b.3年   c.5年   d.10年   e.15年以上

 この答えを知りたい方は、近藤誠「がん治療総決算」(文芸春秋社)をお読みになることをお勧めいたします。近藤誠といえば、10年も前に「患者よ、がんと闘うな」によって日本の癌治療のありかたの根本を問いかけるという革命的な主張を始めた慶応大学病院の現役放射線医。「抗ガン剤治療の90パーセントは無意味」「手術は無用」「ガン検診は無意味」という氏の意見は、当時の医学界から大反発をくらい、現在でも日本の癌治療の最高権威たちからは無視され続けています。

 本書は、そんな変わらぬ「白い巨塔」たる医学界においても、少しずつ変貌を遂げてきたガン治療の総決算をまとめた書。「がんとともに臓器を取り除く手術は避けよ」「知らなかったではすまされない抗ガン剤の副作用と毒性」「高額なのに根拠が薄い免疫法は詐欺も同然」と、相変わらず著者の意見は過激であり、多くの外科医たちを刺激しています。大学病院に所属する身でありながら、権威に対しても決して妥協しない持論を繰り返すこの態度こそが、近藤氏の真骨頂。(だからこそ未だに講師という肩書きなのでしょうが、昔から最も優秀な研究者は講師であるという真実もありますね)専門的な内容でありながら、臨床データに裏付けされた理論と歯切れ良い口調にのせられて、おそるべき医療現場の現実を知らされることになるでしょう。

 最近でこそ抗ガン剤の恐怖や、乳ガンにおける乳房の温存療法といった話題が一般的にも話題になるようになってきたけれど、まだまだ現実は宣告を受けた患者が選択できる治療法は皆無に等しいのが現実。本書が訴えていることは、ガン治療を放棄せよという単純なことでは決してなく、まず私たち自身がもっている癌に対する誤解を解くことから初めよということなのです。急性白血病や睾丸腫瘍のように治療が効果を上げる癌もあれば、乳ガンのように手術も放射線治療も治癒率は変わらない癌もある。ほとんどの臓器ガンに至っては、手術も様子見(無治療)も、実は生存率や寿命が変わらないという統計的データが実は世界的にも存在する。読後は、まさに私たちの癌に対する常識が一変することは間違いありません。

 ちなみに最初の質問の正解は、eの15年以上。症状がないのに手術をして胃を切除し、その後の人生に不便を感じながら生きるのか(術後の後遺症の可能性もある)、様子見という治療法で癌とともに共生する方法を選ぶのか。決定するのは医者ではなくて、患者自身がするべきです。癌を考えることは、すなわち私たちが自分の生き方を選択するということでもある。そんなことを考えさせられる、深みのある内容の一冊でありました。


がん治療総決算


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楽しく楽しく絵を描こう [アート]

 日本の子供たちの美術教育の程度の低さには、ほとほとあきれかえるものがあります。もともと美術を理解する土壌が親たちにないのだから仕方ないといえばそれまでですが、それにしてもひどい。美術教育を専門にするとかいうナントカ芸術教育研究所の著作に「楽しく楽しく絵を描こう」という本がありますが、はっきりいってウソばっかり書いてある。この本が日本中の保育園・幼稚園の先生方の絵画教育のバイブルとなっているらしいから、まったく情けない。

 例えばですよ。コスモスの描き方という項目です。「みんなでコスモスを用意し、花びらの枚数を数え(8枚)、確認します」「パレットに黄色を出し、花の心を点描で描きます。大きくなりすぎないように注意しましょう」「花びらを赤紫色で描きます。筆をロケットにし、筆先で中心から外に向けて4〜5本の線で一枚の花びらができるようにします」・・・・書き写しているのもバカらしくなってきた。要は、絵とは自然をありのままに写し取るという前近代的な美術観をいまだに子供たちに押しつけているだけなのです。

 谷川晃一「絵はだれでも描ける」(生活人新書)は、私と主張をまったく同じにする著者による新感覚のお絵かき入門書であります。「子供のころ、絵は誰もが楽しめるものだった。自由な発想、自由な想像力で純真な絵を描いていた。しかし大人になって巧さを意識しはじめたとたん、自由な想像力は失われ、絵は魅力を失った」と語る作者は、子供の絵からアート感覚を欠如させている美術教育の問題点にもスルドク迫ります。さらに本書の真骨頂とも言えるのは、美術活動などしたことがないような大人たちにも「だれにも絵は描ける」と語り、その実践事例を綴っているところでありましょう。

 パブロ・ピカソは、晩年に語っています。「私は父親のひどい美術教育で、子供のころ、子供らしい絵を描いたことがなかった。ようやく子供の絵のような自由で楽しい絵が描けるようになるために、何十年もかかってしまった・・・・」本書を読んで、多くの人が絵でも描いてみるかっ、という気分になることを期待します。絵に対する考え方が、読後は180度変わる。そんな革新的な内容の一冊ですよ。


絵はだれでも描ける


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サルでもわかる大脳生理学の講義録 [医学・サイエンス]

 時は、少し遡ること2002年5月。科学雑誌ネイチャー」に発表されたある論文が、全世界の人々を驚愕させることになりました。その内容とは、「ネズミの行動を、リモコンによって自動制御することに成功」というもの。いっときますけど、ロボットネズミのことではないですよ。実験動物である正真正銘の生きたネズミちゃんの脳に電極を埋め込んで、彼(彼女?)の意思を思うがままにコントロールするという、いうならば生きたラジコンネズミを作り出すことに成功したという記事です。この技術が進化すれば、動物ロボットはもちろんのこと、人間だって意のままに操れる日が実現するのも遠くないのかもしれません。素晴らしい? 恐ろしい? それぞれの感性によって、この成果に対する反応は違うかもしれませんね。

 池谷祐二「進化しすぎた脳」(朝日出版社)は、このようなエピソード満載で、大脳生理学の最先端についての知識をたんまりと教え諭してくれる本であります。こう聞くと、なにやら難しげな専門書に聞こえてしまいますが、さにあらず。実は本書は、ニューヨーク在住の高校生を相手に脳の講義をした時の講義録。現役バリバリの研究者である著者が、自由意思からアルツハイマー病の原因に至るまで、子供たちにも一つづつ噛んで含めるように丁寧にやさしく、そして大胆に説明してくれるという素晴らしい授業なのであります。「世界で一番受けたい授業」なんてテレビバラエティがあるけれど、あんなの目じゃないくらいの内容の濃さ。作者である池谷氏をして「私自身が高校生の頃にこんな講義を受けていたら、きっと人生が変わっていたのではないか?」と言わしめたほどの自信作。講義録なので、難しい内容も話し言葉で綴られているため、理系が苦手な人でもぐんぐん引き込まれていくことでしょう。

 「脳は場所によって役割が違う」「WHATの回路、HOWの回路」「視覚と聴覚のつなぎ換え?」「脳の地図はダイナミックに変化する」「こころとは、何だろう?」「世界は脳の中で作られる」「風景がギザギザに見えないわけ」「目ができたから、世界ができた」「哀しいから涙が出るわけではない」等々。講義は、脳の不思議、心の不思議と続き、世界とは何だろうか? という、ともすれば哲学的なテーマを科学的に分析することに挑戦していきます。かと思うと、後半での講義はさらに専門的になり、情報伝達の具体的メカニズムの解説までするという高度な内容。「神経の信号の実態はナトリウムイオンの波であり、スパイクが来ると神経細胞の隙間であるシナプスからドパミンやアドレナリン等の神経伝達物質が放出されて、筋肉を動かす信号が伝えられる。さらにその具体的なメカニズムを図式化すると……」なーんて記述にまでくると、ちょっとお手あげの読者も頻出でしょうが、全体的に見て脳の構造についての格好の科学入門書になっていることは間違いありません。最近流行の脳科学本に興味はあるけれど、ちょっと敷居が高くて…、とためらうヒトには本書からスタートすることを強くお勧めいたします。


進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線


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次世代の地球を征服する生物 [ノンフィクション]

 都会のカラスほど不気味な鳥はいません。不気味な目を輝かせて、巨大な体をゆすらせ、生ゴミをあさる姿を見ていると、大の大人でも恐怖心を持ってしまいます。しかも知能が非常に高く、雑食性であり、生存能力は動物の中でも抜群に長けていると言います。生ゴミなどあさらなくても、ネコ、ネズミ、鳩、蝉・・・・といった生物から植物まで、動物の排泄物であろうと、場合によってはカラス(つまり共食い)ですら食べてしまう。田舎のカラスは、自分を捕獲する鷹やワシといった猛禽類のヒナを襲うこともあるらしい。食べるためなら、自分の命も省みないというこのグルメな執着心は、まさに人間そのものの姿を見るようではありませんか。

 唐沢孝一「カラスはどれほど賢いか」(中公文庫)は、長年都市鳥を研究してきた著者による、カラス研究の集大成本であります。都会のカラスの生活様式を探るため、朝から晩までカラスの生態を追っかけた詳細報告。都会のカラスの子育てや、営巣場所、針金ハンガーを使って作るユニークな巣作り。滑り台で滑って遊ぶカラスの遊技。道路にクルミを落として自動車に割らせ、中身を頂くという知能的なカラスの食事法・・・・。どれを読んでも、ここまでカラスの知能は高いのかと唖然とさせられることばかりであります。そういえばあるテレビ番組でも、神社のお賽銭を盗んできて鳩のエサが出てくる自動販売機にコインを入れ、それを食するというとんでもないカラスの姿を紹介しておりました。

 科学的に見ても、カラスの知能はサル以上であるどころか、脳の総重量に対する脳細胞比率は人間の十倍という数値を示しているらしいのです。うーん、参った。それほど知能の高い生物が、都心ではものすごい勢いで生息数を増やしていると言いますし。著者の研究成果によりますと、都心のカラスの現在の生息数は約三万羽。年々10%以上の割合で増え続け、その勢力はアメリカ帝国のごとく拡大の一歩をたどっているのであります。このままでは私たち人間の地球支配も、そう長いことはないような気がしてきます。カラスを見て私たちが不気味に感じるのは、真っ黒なその容姿からイメージするだけでなく、その知能や生存力に対して人間が本能的な恐怖感を抱いているのかもしれません。いずれにしても、次世代の地球の覇者はカラスかゴキブリである。これは間違いない事実でしょう。彼らを見ていると、正直言ってかないませんわ、イヤ、ホント。


カラスはどれほど賢いか—都市鳥の適応戦略


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